薬師堂(犬塚薬師)|茨城県常陸大宮市 満福寺|真言宗

真 言 宗

薬師堂(犬塚薬師)

鎌倉に幕府があった頃、鎌倉の建長寺に住んでいたお坊さんが隠退して浄因寺にやってきました。お坊さんは幕府の執権・北条氏ゆかりの人で、鎌倉との連絡役に犬を使い、犬に手紙を持たせてたびたび往復させていました。
あるとき、鎌倉に急ぎの用件ができたお坊さんは、いつものように犬の首に文箱を結びつけると「この手紙を大至急鎌倉まで届けておくれ。今回は特別急ぐ用事なので必ず明日中に戻ってくるのだよ。」と犬にいいきかせました。
犬はすぐに鎌倉をめざして出発しました。昼も夜も休まずに走り続け、鎌倉に到着して無事用事を済ませると、すぐに帰路を急ぎました。
次の日の昼ごろにやっと村にたどり着いた犬は長い距離を休まずに全力で走ったため、寺まであと一息という高岡の坂で力尽き死んでしまいました。
お坊さんと村人たちは、この忠義な犬をあわれに思い、手厚く葬りました。
やがて、その犬の亡がらを埋めた塚(墓)にある辺りを「犬塚」という地名になりました。(現在満福寺のある台地周辺を指します。)
その後、鎌倉の執権から「大変立派な犬だったので、これから犬神として祭れ」との上意があり、犬塚薬師として浄因寺(現在の満福寺)に移されました。
現在の薬師堂は本堂改築と同時に平成6年に落慶しました。
薬師如来像は鎌倉時代末期の春日作と言われています。


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